妻の幸せと子の幸せ(3)

妻は学校に通っていたころ、毎朝早く起きて、自分と私の弁当を作っていました。家事もそれまで以上に家事を行っていました。Hannaの保育園の準備なども本当に一生懸命やっていました。

それについては、私自身もすごく感心するほど頑張っていました。妻は、「自分の好きなことをやらせてもらっているから」と言うので、ますます私は妻を応援しなければいけないという意識が強くなりました。

一方、Hannaは、それほどぐずらず保育園に通っていましたが、最初の1週間は、朝はずっと保育園で泣いていたそうです。ぶかぶかの保育園帽子をかぶり、泣き疲れて保育士の背中で寝ている写真を見るたびにじ~んときます。

自分の人生を変えるために頑張っている妻と、恋しい母親から離されて保育園に連れて行かれている娘を見ながら、悩む日々が続きました。

休みの日にも妻は、学校関係の用事で出かけなければいけないこともありました。
そんな時は、私はHannaを連れて動物園や、水族館などに遊びに行きました。Hannaあこがれの電車に乗って。
Hannaは、それなりに楽しそうな顔も見せますが、3人で遊びに行くときと比べると、圧倒的に元気がありませんでした。「お母さんは?」「早く帰ろう」そんな言葉を聞くと、私はますます悲しくなってしまいました。

昼間は、それなりに楽しく過ごせても、Hannaは眠くなると、どうにもお母さんでないとダメで、良く泣きました。眠くなると、お母さんの耳たぶを触りたがるクセがあって、お母さんの耳を触っていると落ち着いて眠れるのですが、そうでないと眠れませんでした。時々、Hannaが眠り始めた時に妻とこっそり入れ替わって、私の耳を触らせてみても、ちょっと触ると目を開けて「違う」と怒るくらいでした。

半年以上経っても、状況はあまり変わりませんでした。私たちの親たちからはHannaがかわいそうだという言葉や言葉にならないプレッシャーがかけられていました。必要に駆られてならともかく、そうでないのに、無理に保育園に通わさなくてもよいのではないかと言うことです。

1年後、妻は学校を修了しました。しかし、仕事をするためにHannaはそのまま保育園に通い続け、今年の5月に、3回目の誕生会に出席し、ステージ上で自分の名前と年齢を言えたと連絡帳に書かれていました。

(つづく)