妻の幸せと子の幸せ(1)

Hannaは、満1歳になる前から保育園に通っています。私の親も含め、多くの人から「こんな小さいうちから保育園なんてかわいそう」と言われていました。私自身も、そう思うことが無かったわけではありません。
まだミルクを飲んでいる子供が知らない人ばかりのところに置かれて1日過ごすことを想像すると涙がでることもありました。

私が、一番つらかったのは、そう思っていることを誰にも言えなかったことです。妻にも「Hannaは保育園に行かせた方がいい」と言い張らなければいけなかったことです。
確かに、保育園に行かせた方がよいと思っていたのも事実です。それは親が幸せに生きていて、その姿を子供に見せるために、という理由です。
私は、子供の教育上非常に重要なことは、親が幸せに生きていることだと思います。親が毎日幸せそうであれば、子供はきっと「自分も幸せになれるかも」と考え、希望の持てる人生を送れると思います。
そのために、親は幸せな人生を送らなければいけないといけないと思います。

私は、強がりでもなんでもなく、本当に幸せな人生を送っていると、自信をもって言えます。25歳くらいからそう思えるようになりました。人にだまされようが、他人から見たら苦労しているように見えようが、常に「幸せ」なのです。将来も幸せである自信があります。人はこれを「超楽観主義者」と呼ぶようです。

でも、妻はそうではありませんでした。ストレスをためやすい性格で、仕事から帰ってくると、よくストレスに潰されて廃人のようになっていました。
私はよく「人間が壊れるようなひどい仕事ならやめてしまえばよいのに」と言っていましたが、妻は続けていました。その理由は、収入や(形式上の)労働条件は非常によい仕事であったことなどがありますが、最大の理由は、その職業が、妻が中学生の頃からあこがれていた仕事であったことだと思います。つまり、自分がこれまでの人生の半分くらいあこがれて、それを公言していて、実現したのに、それを辞めてしまうことは、ある種の自分否定になるからだと思います。

妻も、仕事を辞めた方がよいと思っていました。そして、誰よりも、「辞めたい」と思っていました。あとは、仕事を辞めるための正当な理由と後ろ盾が欲しかったのです。
私が考える以上に、妻が仕事を辞めるにはエネルギーが必要でした。誰に言っても反対されていました。それもそうです、何せ旦那は零細ベンチャー企業の社長。高収入の妻は一家を支える大黒柱だったのですから・・・。

ちょっと文章が長くなったので、つづきは、また次回にします。
結果だけ書くと、結局、1年の育児休暇の終わりを待たずに妻は、仕事を辞め、学生になりました。そして、Hannaは保育園に通い始めることになりました。
(つづく)